2024年3月2日(土)のストラーデ・ビアンケの実況をJ Sportsで担当することになった。なんの因果か、解説は辻啓。ツールに一緒に行ったりと長い付き合いだけれど、こうして一緒にテレビ画面の中で仕事をすることになり感慨深いものがある。思い出すのは、ちょうど10年前にストラーデ・ビアンケの舞台シエナとその白い道を、彼の案内で走ったこと。これは自分の自転車人生の中でもベスト3に入る素晴らしい体験だった。かつて個人ブログに旅行記として掲載したものだが、この機会に追記修正を行い再掲する。なにぶん、10年前の文章なので粗くもあるが、それはそれで。
土曜日はどんなレースになるか、楽しみだ。
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あの日のモンタルチーノ。泥にまみれて誰が誰かが分からない中で、控えめなガッツポーズだけが彼がカデル・エヴァンスであることを伝えていた。2010年のジロ・ディタリア。白い道はその高貴な名前に反してチャンピオンを泥濘にまみれさせたのだった。
トスカーナ地方のこの辺りは、イタリアにおける平面芸術の総本山たるフィレンツェ、あるいは連日旅行者が傾いた搭をつまみ上げるピサといった街がつとに知られるところであるが、ワイン通ならモンタルチーノの名を知っていることであろうし、芸術に一家言ある方なら、かの万能天才レオナルドがこの地のヴィンチという村出身であることをご存知であろう。
しかし今回の旅の拠点は、シエナである。トスカーナ有数の都市の割に知名度に欠ける印象があるのは、隣町にして史上最大のライバルであったフィレンツェの大きな存在がある。「花」という言葉をその発音に連想させるところのあるフィレンツェはイタリア・ルネサンスの栄光を体現したような華やかさを今日まで留めている。この街では、絶世の美を誇るヴィーナスが毎日その生の瞬間を露わにしているし、ウフィツィの別の一室では常に春が爛漫としている。
シエナという街を初めて教えてくれたのは辻啓であった。その前年まで住んでいたこの街のことを、当時メッセンジャーであった彼はイタリア気質そのままに、誇らしく語ってくれたのだった。まだツール・ド・フランスではランス・アームストロングが猛威を奮っていた頃。この年のジロは、パオロ・サヴォルデッリが密やかに2度目の優勝を遂げていた。
コロンビア人がジロを勝った今年(注:2014年)。ガリレオ・ガリレイの名を持つピサの空港で出迎えてくれたのは、フォトグラファーになった辻啓であった。この日誕生日であった彼だが深夜100kmのドライブを厭わずにここピサまで迎えにきてくれた。合流した我々が一路向かうのは、そうシエナである。
彼が知り合いに借りているというフォードのヘッドライドが闇に照らし出した標識には、「この先 Vinci」と書かれていた。
歴史あるイタリアの小村というのは、たいてい小高い丘の上にある気がする。要塞のごとく壁で覆い囲われ、、数個の入り口が門となって東西南北に開いているような、そんな作りをしている。この100kmのドライブの間にもいくつかそうした村々がライトアップされているのを遠目に見上げた。記憶が確かなら、かつてジロで通過したベルガモの街もそんな作りをしていたように思う。フランスにはそこまでこうした様式の村が多いという印象は無いが、リヨン近郊のペルージュという村はまったくこうした作りであった。中世の時代にペルージャからの移民が作った村だということだ。なるほど。
してみると、トスカーナは今でこそ広い空と大地の緩やかな起伏が牧歌的ではあるが、かつてはこうした小村がそれぞれに争いの相手であったのだろう。高台からは24時間監視の目が大地を見下ろしていたはずである。流血の歴史を経て今日この地が産出するワインは、赤が名高い。
ピサから南東にクルマを走らせ、高台にひときわ大きい暖色の城塞都市が見えてきたら、それがシエナである。旅行者は城壁の外から街に入るのに急峻な階段を登る必要はない。歴史ある城壁をエスカレーターが走っている。時代は21世紀である。ハイテクとローテクは共存する。もちろん、鉄道はこの街の中まで入ることはできず、城壁に外付けするばかりだ。
この外界との明確な区別は、我が国においては見られないもので、それがゆえにこの地の人々の強烈な郷土愛、誇りが生まれているように思う。辻啓曰く、シエナは「イタリアで最も治安のよい街」とのことでなるほど深夜のこの時間帯でもまばらに一人歩きの女性の姿も見える。シエナのこの治安の良さは、住人が皆、誰が誰かをわかっているムラ社会ゆえであるとも。核家族化によって、日本の都市部のみならず地方までもが失い始めている地域社会のシステムがここには息づいている。
折しも僕が訪れたのは、この地域性が最高潮に達する数日間だった。
地域共同体の根幹にあって、共同体の存在理由を支えるもの、それはお祭り。
シエナにとって一年で最大のお祭り「パリオ」がこの翌々日に迫っていた。
翌朝、時差ボケの頭をクリアにしてくれたのは、清澄な朝の光に照らされたシエナの街並。背こそ高くないものの、密集している建物の隙間から差し込んでくる光は長く伸び、石畳のそれぞれを浮かび上がらせている。そこを歩く一団は老若男女、お揃いのスカーフをまとい同じ方向へ歩いている。向かう先はカンポ広場。世界で最も美しい広場、とシエナ人が言う(もっとも、イタリアのどの街の人間も自分の街の広場を最も美しいと言うであろうが)ここは、自転車ロードレースを観る方にならストラーデ・ビアンケのゴール地点と言った方が通りがいいかもしれない。
パリオは、まさにこのカンポ広場を舞台に行なわれる。広々とした広場ではあるが、多くの人で埋め尽くされていてサイズ感がいまひとつ掴めない。密集と熱気に少しだけ触れてアパートへと戻った。パリオとは何かを、啓兄に訊く。
パリオは、シエナの中の17ある行政区画(コントラーダと呼ぶ)のそれぞれが馬のレースで競うお祭りで、そのレースに勝利することは住人にとって悲願であり名誉なのだという。馬やジョッキーの選定段階から街はざわつき(ちょうど昨日がその日だったようだ)、レース当日にそのボルテージは最高潮に達する。
興味深いのは、各コントラーダのシンボル。僕が滞在する啓兄のアパートがあるのは、サンフランチェスコ門にほど近い「ブロッコ」の区域。これが意味するものは、「芋虫」であり、なるほどそこかしこの壁に緑と黄色の芋虫のレリーフが散見される。それにしても芋虫とは、強さの象徴にはなりえず、優美さのそれにもなれない不思議なモチーフであることよ……と思っていたら、他のコントラーダもなかなかのものだった。
ワシ、ヒョウ、サイ、オオカミ(雌)あたりはわかる。強さも気品も湛えている。アヒル、カメ、キリンとなると少し呑気さが増すように感じられ、芋虫、カタツムリ、貝までくるとモチーフ格差を嘆きたくもなってくる。しかし真骨頂はこれからで、ユニコーン、ドラゴンという空想上の生き物があるかと思えば、森や波といった自然、そして終いには塔といった人工物まで出てくる始末である。
このモチーフの整合性の無さは、かつてフーコーが参照したボルヘスの中国の生物図鑑のカテゴリー分けを思い出さないでもいられないが、個を示す一般名詞から抽象を示す名詞までを同列に並べるその精神性にはかなり中世的なものがあると感じられた。内陸にあるシエナがいかにして波を名指し、コントラーダのモチーフに据えたのか興味は尽きないところではあるが、帰国後に知ったところでは彼のクロード・レヴィ=ストロース御大にもパリオ祭への言及があるということで、この祭典が人間性を称揚するものであることを再確認した。
それにしても芋虫のモチーフは、デザインとしては極めて秀逸だった。紋様がプリントされたスカーフを旅の記念に求める。スカーフを身につけて街を練り歩くだけで土地の人間に近づいた気になるというのは、極めて自己満足的で浅薄な旅の喜びだとは思いつつも、嬉しい気持ちになるものだ。
さて、このシエナ、自転車に乗るために訪れたことを忘れてはいない。トスカーナの丘陵地帯と、燦々と輝く太陽がライドへと誘ってくれる。朝食を食べたら、身支度を整えてライドに出よう。ガイドは、辻啓。これ以上の案内役はいない。
個人的にトスカーナ地方というのは、すごくイタリアらしい地域だと感じる。20歳の春に、初めてイタリアを訪れた際に長く滞在したのがフィレンツェだったからかもしれないし、ボッティチェルリの「春」がイタリアの絵画のうちで2番目に好きな絵だからかもしれないし、当時はルネサンス絵画についてよく勉強をしていたからかもしれない。
初めてイタリアを訪れた旅は、ローマから入り、フィレンツェ、そしてミラノからサンレモを経て(もちろん3月のあのレースを観て)フランスへと抜けたのだったが、古墳の中を歩いているようなローマと、東京のような近代感あふれるミラノとの、そのちょうど中間にあるようなフィレンツェを、イタリアの中庸としてみていたような気もする。
前日、シエナの街をそぞろ歩いて、ここもまた過去が今日まで見える形で息づいている歴史の街だと気付かされた。今日は、城塞に囲まれたこの街の外へ出る。その足はもちろん自転車だ。
朝、辻啓のアパートには見たことのある顔。かつてはコーステープの内側に見たことのある小柄な女性は、MTB XCOの元全日本チャンピオンとして君臨した小田嶋梨絵さんだった。僕が高校生の時分、クロスカントリー女子レースを支配していた女王は、今はUCIの指導者養成プログラムの過程で、イタリアにおられるのだという。そして、これは後で思い出したのだけど、梨絵さんは野辺山シクロクロスの第一回大会の優勝者でもあった。
そんな豪華ライダーを迎え、ライドに出発する。天気のよい一日、今日はストラーデ・ビアンケ、すなわち、「白い道」を走る。当然のことながら、梨絵さんを交えた僕たち3名はいいペースで走って行くことになる。
シエナの街が終わることを示す看板を通り過ぎる頃には、すっかり空は広く、周りはトスカーナらしい丘陵地帯になっている。本当にヨーロッパの街は、境界がはっきりしている。そしてこの赤い斜線が惹かれた、街が終わる表記がなんだか好きなのだ。一行はモンタルチーノの街へと入っていく。
ここは2010年のジロで、雨に見舞われた白い道で泥にまみれたアルカンシェルのカデル・エヴァンスが印象的な勝利をあげた街である。そしてシエナと同じく、小高い丘の上に街が作られている。小さな、可愛らしい街だ。日本でもそのワインが名高いモンタルチーノであるが、この地域に特有の郷土料理「ピチ」があることを啓兄に教えてもらい、早速食すことにする。太く、細切れな麺にミートソース。大阪人はうどんパスタ、なる説明を与えたが、言いえて妙。このご当地パスタは、イタリアのどのパスタがそうであるようにやっぱり美味であった。
高台にある街を出るには、当然ダウンヒルをすることいなるが、この二人は下りが速い。梨絵さんはもちろんのこと、イタリアの走り方を知っている啓兄もびゅんびゅんと下っていく。ヨーロッパの下り坂というのは、なぜだかすぐにスピードが乗る気がする。空が広すぎて勾配の感覚がマヒしているのか、アスファルトの摩擦係数が低いのか……なぜなんだろうか。そうやって走っていると、日本の道とヨーロッパの道ではそれぞれに適したタイヤがありそうだ、なんて話にもなってくる。
時折目に入る『L’Eroica』の看板。グラベルライドイベントとしてこの頃認知度を広げているエロイカ、あるいはかつてモンテパスキ・エロイカと呼ばれていたストラーデ・ビアンケを意味するこの看板が、「白い道」を行き先に示していることは疑いえない。まもなく、啓兄が「いよいよ」と言うと、グラベルロードが始まった。
白い。
そして、登るか下るかしかない。
白い道は湾曲しつつ、トスカーナの丘陵地帯を伸びて行く。当然アップダウンも激しい。とはいえ、上りの勾配はそうキツくはなく、実際に走ってみるといい感じに踏んでいける。そしてちゃんとサドルに座っていればグリップもするので、不安はない。下りはまた適度にスピードが出るので、最高に気持ちよく登りと下りをつないでいける。砂利道のうえでペースを刻めることほど愉快なことはない。
それにしても、当たり前なのだけど、梨絵さんの下りが速い。オフロードになってまるで水を得た魚、砂利を得た小田嶋、後輪を滑らせながらコーナーを曲がって行く。さすが。
この日は晴れと薄曇りを繰り返す天気だったから気づくことはなかったけれど、確かに雨が降ったら滑りそうな路面ではある。ジロでもストラーデ・ビアンケでも、あんまりすっきりと晴れたレースを見た記憶がないけれど、太陽を直接浴びたらさぞこの道は白く輝くことだろう。
「カンチェラーラが独走したのがここ」と啓兄が言う。最大勾配16%の白い道の激坂であった。ところどころ、こういう激しい箇所もある。そして実際に走って見てわかったのは、「白い道」は地元住民の生活道路であり、今も生きた道であるということ。クラシックレースで用いられる未舗装路と聞くとなんだか時代に置いていかれた歴史の通り道のような気がするけれど、ストラーデ・ビアンケだってまだ20年そこそこのレースなのであった。それなりの頻度で、白い道に白い砂煙を巻き上げながら走るフィアットがすれ違っていく。
ゴールはもちろん、シエナの街だ。つまりは、ストラーデ・ビアンケのゴールシーンにあるあの坂、サンタ・カタリナ通りを登らなければならない。白い激坂を越え、街への登り口まで快調に走った我々は、クラシック・レーサーの特権である英雄気分を気取りつつも、シエナのカンポ広場へ至る上り坂をいいペースで踏んで行く。後年、ワウト・ファンアールトというシクロクロスの世界チャンピオンがそこで足を着くことになるなんてことは、知る由もなく。
到着したカンポ広場には、パリオに沸く人々がごった返していたが、白い砂埃にまみれた我々にはどう見ても、世界で一番美しい広場なのであった。シエナよ、とこしえなれ。
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この日の翌日も、啓兄に導かれ、シエナ近辺のショートライドを楽しんだ。学生時代にこの地に住んでいたという以上に、この人はサイクリストのツボを押さえたルートを熟知している。自転車の素晴らしさを伝えるためにフォトグラファーをやっているが、その手段は写真だけではないと思ってる、という彼の言葉も、まんざら嘘ではなさそう。不定期にイタリアにてライドツアーをしているので、もしこの地をバイクで走りたいと思っている人がいるなら、ぜひコンタクトをとってみては。100%素晴らしい旅になることを保証する。
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Text: Yufta Omata(2014)
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