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2024年10月28日のジャパンカップ論【ニュースレター購読者限定記事】

Photo: Kei Tsuji | Utsunomiya Japan Cup cycle road race
Text: Yufta Omata


第31回目のジャパンカップが終わった。情け容赦のない今年のレースは、この大会の変節点として記憶されることになるかもしれない。多くの関係者、そして観客がこの数年うっすらと感じていたことが、決定的な形で表れたからだ。「ワールドチームによる本気のレース」。それは観る喜びであると同時に、完膚なきまでに高い世界の壁を示すものでもあり、どう捉えていいものか心情的には整理がつかない。

ジャパンカップはなぜこうした変化を遂げたのだろうか? 行き場のない心情の多少の気休めになることを期待しつつ考えてみたい……。

今年「宇都宮ジャパンカップサイクルロードレース」と名称を改めた本大会。競馬に同名称のイベントを抱える宿痾からの脱却を志したものかはわからないが、レースが今後ワールドツアーのカレンダーで重要度をさらに増すならば、宇都宮というローカルの世界的な知名度は増すことになる。

平時の宇都宮を訪れても、他の観光都市比べて外国人観光客が多いという印象はない。オリオン通りなどは長閑な地方都市のアーケード通りのイメージそのままだ。周辺の日光や那須といった観光地にインバウンドが流れているのだろうが、自治体としては例年のイベントを継続することで国際的な知名度向上を図れるなら願ったり叶ったりだろう。

ジャパンカップのレースイメージ:2018年ごろまで


1992年に創始され、1996年にはワールドカップの1戦に指定され……と日本を代表するワンデイレースとして歩んできたジャパンカップ。日本で世界レベルのロードレースが観られるほとんど唯一の機会として親しまれてきた。

個人的に現場へ行き出したのは2005年からのことで、以来ほぼ毎年現地で報道や出店に携わった経験と実感から言うと、ジャパンカップは「海外トップチームがシーズン最後に旅行とセットで楽しむレース」という印象が強い。今では禁止されたが、かつては選手とファンの間での個人的な物品売買が闇市さながらに行われていたり、母国から遠く離れた極東の国で羽目を外すアスリートも少なくなかった。シーズン最終盤ということもあり、選手たちのコンディションも様々。勝ちを本気で狙う選手は、そこまで多くなかった。

それは同時に、迎え撃つ日本チームの選手たちにとっては好機でもあった。数周ごとに古賀志林道の山頂に設定される山岳賞は、逃げに入ることができれば表彰台という晴れ舞台に上がるチャンス。序盤から日本人選手たちがアタックで飛び出し、逃げグループを形成。メイン集団はワールドチームがコントロールして中盤までは静観、というのが「お約束」だった。そしてその「お約束」をファンも抑えたうえで、応援の作法を整えていった。山岳賞は、呼び名を変えた敢闘賞だったと言えるかもしれない。中盤にかけての山岳賞争いは、古賀志林道で観るとそれは見ごたえがあったものだ。

今日、この山岳賞の熱狂は姿を消した。そしてこれを狙う日本人選手の姿も逃げグループの中にない。あるのはただ、ワールドチームの選手たちが、別のワールドチームが支配する集団から抜け出そうとする攻防と、その結果として獲得される山岳賞という現実である。

象徴的で深刻なクリテリウム


今年のレース展開はジャパンカップが新しいフェーズに入ったことを端的に示していると思うが、最も象徴的で深刻なのはむしろクリテリウムだろう。……クリテリウム? そう、クリテリウムだ。

このクリテリウムこそ、2020年代におけるワールドツアーの性質を示しているのではないか。そもそもクリテリウムは顔見世興行としての色合いが濃く、またツール後の興行クリテの存在が知られるにつれて、どこか「本気で走るものではない」というコンセンサスが走る者、観る者、伝える者の間に形成されてきたように思われる。特に翌日に本戦を控えたレースでは、「明日のために無理をしない」が常套句だ。

実際にそのように走った選手たちが多かったことは想像に難くないが、大会始まって以来の逃げ切りという結果の理由をここに帰すことはできないだろう。明らかにこの日逃げ切った11名は強く、そして翌日の本戦でも上位入賞あるいはレースにおけるキープレイヤーとしての役割を果たした面々だ。これはシーズン最終盤でも調子のいい選手が多いこと、翌日を鑑みて高強度の刺激をむしろ欲していたこと、何よりもワールドチームのモチベーションの高さを示している。

本戦のように起伏のあるレースではない(からこそ難しいとも言えるが……)のに、メイン集団は逃げグループを捉えることができなかった。ワールドチーム・プロチームの選手11人の方が、コンチネンタルチームとナショナルチームを加えた9チームよりも速かったという事実は観る者に重く響く。

もちろん、このレースをより詳細に分析する必要はある。クリテだからこそ逃げたワールドチームの面々も協調がとれたのかもしれないし、集団に残ったワールドチームの選手による圧は追走を妨げたであろうし、コンチネンタルチームはUCIポイントのかかる翌日のために温存する必要があったのだろう。しかし明らかに格上の選手たちが真剣な走りを見せている中で、迎え撃つ国内勢にも相応の走りを期待することは、ファン心理として自然なことだ。そしてこのファン心理が、11名に追いつかなかったという事実をなんとか受け入れようと上記のようなエクスキューズを持ち出す。しかしこの日のクリテは、明らかに力でねじ伏せられたとしか見られない。

この傾向はすでに前週のツール・ド・九州で見られたもので、小倉城クリテリウムでも逃げ切りが決まった。上位3名はいずれもワールドチーム・プロチームの選手たちで、そのまま3日間の本戦でも総合優勝争いを演じた3名だった。クリテリウムは確かに顔見世興行だ。しかしそれはファンに向けてだけのものではなく、続く本戦でライバルチームを牽制する意味合いにおいての顔見世でもある。

クリテリウムである程度、本戦が占える時代が来た。逆を言えば、コンチネンタルチームはクリテで主張ができないと本戦での勝負権を得られない。クリテで前を固められないチームが本戦で集団をコントロールしようとしても、格上チームが占める中で相当に難儀するだろう。

クリテで勝ったスクインシュは、翌日のロードレースも狙っていたことはその走りを見れば明らかだ。クリテで勝ってもUCIポイントはつかない。表彰式のため夕方の寒空の下、少なくない時間拘束もされる。打算的になればクリテを勝つ必要はない。それにも関わらず狙いすましたスクインシュの逃げからアタックしたのは、自転車選手の本能によるものだと言っていい。それは私たちが今年、タデイ・ポガチャルの無邪気さと同一視したものであり、レースを観る者を熱狂させる源泉だ。この本能と本能がぶつかり合うレースこそが「本物」のレースであり、今年のジャパンカップはクリテリウムからその真正性があったのだった。

その要因を考える


ここで考えたいのは、なぜ近年ワールドチームがジャパンカップで「容赦のない」走りをしているのかということだ。選手やチーム関係者への取材を行ったわけではないのですべて仮説レベルだが、いくつかは実情とそう遠くないだろう。

1.ワールドチーム昇降格システムによるUCIポイントの重要性向上
2.常に全力のレースというワールドツアーのトレンドが波及
3.コース変更に伴うレース戦略のアップデート
4.ワールドツアーと国内サーキットのレベル乖離の拡大
5.マーケットとしての日本の重要性(?)
それぞれ詳細に見ていくとそれだけで記事が数本できてしまうのでざっと触れるに留めたい。

1.ワールドチーム昇降格システムによるUCIポイントの重要性向上

2022年に初めて適用されたワールドチームの昇降格システム。ひと悶着あったが、初適用の移行措置としてプロチームに降格したロット・スーダルとイスラエル・プレミアテックにも全ワールドツアーレースへの出場枠は維持された。2025年シーズン終わりに再び昇降格が問われるため、ロットやイスラエルを筆頭に、昇降格ライン上のコフィディス、アスタナといったワールドチームの参戦開始はこの事情によると見られる。

2.常に全開のレースというワールドツアーのトレンドが波及

2020年代になってワールドツアーのレースで顕著なのがスタートからアタックが連続する激しい展開。ツールの平坦ステージですら、「退屈」な展開になる方が少ないぐらいに、レース展開は緩急メリハリというよりも常に動き続けるものになってきた。全体的なレースペースも上がり、各種レースで過去最高時速が更新されるのも珍しくないほど。こうしたハイスピードレースの習慣がワールドチーム・プロチームが過半数を越えるジャパンカップで展開されても何らおかしくない。

3.コース変更に伴うレース戦略のアップデート

2015年から1周約10kmの短縮周回コースになったことと、上記のハイスピードなトレンドが噛み合った可能性がある。ジャパンカップの代名詞でもある古賀志林道だが、セレクションの場となれどここでレースを決定づけるアタックが決まることはそう多くない。登りが短く、そして複雑な下りとその後の緩斜面の下り基調レイアウトのため、登りで遅れをとった選手が復帰しやすいのだ。周回コースが短縮ルートになり、萩から古賀志までを4kmほどのひとつの登りとして捉えると、一周は登り・下り・平坦。それを周回ごとに繰り返す単調なコースとも言える。そのため、スプリント力ある選手に勝ち星を持っていかれることを懸念してワールドチームが序盤から力ずくでセレクションをかけるようになってきたと見える。春先のピーダスンなら今大会でも最後まで残れただろうが、現在のコンディションでは勝負をさせないほどには集団のペースが速い。

4.ワールドツアーと国内サーキットのレベル乖離の拡大

「お約束」の時代だったとはいえ、個人的にも2010年前後は本気で日本人の勝利を信じていた。その最たるレースは、2011年大会だろう。新城幸也が最後まで勝利の近くにいたし、表彰台の左右には西谷泰治、佐野淳哉が上がった。西谷は前年のランカウイで集団スプリントを制す画期的な勝ち方をしていたし、佐野はヨーロッパのレースで結果を出していた。日本とヨーロッパとの距離がジャパンカップの度に近づいていくような、そんな興奮があったのがこの頃だ。今日、日本人選手の表彰台を望むには楽天的な思考回路を持たねばならない。ヨーロッパが遠くなったと感じているのは私だけでないと思う。

5.マーケットあるいは活動場所としての日本の重要性(?)

これはあくまで邪推に近い考えだが、ヨーロッパのプロ選手のキャリア終盤の活動先として日本が選択肢に入ってきているのではないだろうか。今日、フランシスコ・マンセボを筆頭に日本で走る元トップカテゴリーの選手がいる。とりわけ来季からキナンレーシングチームへの移籍を決めた、ブエルタでマイヨ・ロホ着用経験のあるレイン・タラマエの好意的なコメントを読むと、後に続く選手が増えても何らおかしくない。彼らの存在が日本のレースシーンの活性化とレベル向上につながるのならばそれは好循環、とも言えるかもしれない。が、日本人選手の存在感が薄くなっていることも事実だ。



これらが合わさって、ワールドチーム・プロチームによる「速い」レースが繰り広げられているのではないか、というのが仮説だ。

なお今年のジャパンカップも、出場選手たちのベストコンディションによるレースではなかったことにも留意が必要だ。前述のように春先のピーダスンならば今年の最後の5人に残っただろうし、3位に入ったモホリッチにしても、「シーズン最後だからリスクは侵せない」と、得意のダウンヒルを攻めなかった理由を挙げている。存在感を示しきれなかったディラン・トゥーンスは、脚質的にはこのコースと相性がいいはずだ。今年の大会はクリテリウム、そしてロードレースともに目に見えて速く、そして緊張感を伴うレースだったが、春のクラシックそしてツール・ド・フランスに至ってはさらに一段階上のコンディションの選手たちがしのぎを削っている。ヨーロッパの壁はよりその高さを増している。

日本人最上位選手として岡本隼(愛三工業レーシングチーム)が、会見のためプレスルームに最後にやってきた。冷雨に打たれた昨年、唯一ワールドツアーのレースについていき日本人最高位となった選手。その彼が「昨年よりひとつ順位はいいですが、内容はまったく別物です」と無念を隠さずに口にした。それは現地で、あるいは映像でレースを観ていた者にも理解できる話だった。後続集団の先頭14位という成績は誇るべきものであるだろうが、その口ぶりにはワールドチームとの如何ともしがたい差があることをまざまざと感じさせた。


報道の重要性は、まだあるか


各種自転車メディアにレースの結果レポートはあれど、10月28日時点で今年のジャパンカップを特定の視点から論じた記事は見当たらない。幾人の筆まめな選手たちの手記にはレースの実情が綴られている。孫崎大樹(キナンレーシングチーム)のブログには、近年のジャパンカップのレベルの高さが触れられており、山本元喜(キナンレーシングチーム)が書くところでは、スタート時点からアタックに備えるワールドチームの選手がいたことがうかがえる。

宇都宮ブリッツェンのレースレポートは精細で専門メディア以上に内容が濃い部分が印象的だが、「地元チームとして苦渋をなめる大会となったが、この経験と悔しさの積み重ねは必ずチームを強くする」といった具体性や分析を欠く表現で締めくくっているのがそれだけに惜しい。チームの中で選手のインサイトを引き出せるからこその発信を期待したい。それも本来は専門メディアの仕事であるべきだが……。

ヨーロッパのレベルが高いとか、日本人選手の強化が必要だという言説はそれこそずっと言われてきたことで、10年経っても同じ言説がまかり通っていることの責任の一端はメディアにある。ジャパンカップクラスのレースの後には、それがオピニオンを含む記事になったり、議論されるべきだと思うのだ。冒頭に感じた心情の整理のつかなさの多くは、言説の少なさに起因しているのかもしれない。

ツール・ド・フランスに憧れを持った10代の終わり、ジャパンカップで観たヨーロッパのトップ選手たちは自信に満ち、華やかで格好良かった。現地で見たこのレースで、ますますロードレース観戦にのめり込んだ。そして程なくして欧州で活躍/挑戦する日本人選手たちが表彰台を争う時代となりさらにこのレースに熱狂した。だからこそ、今年のジャパンカップで、例年よりもチームプレゼンテーションに人が少ないことが気になった。モトでコースを走った者も、今年は観客が少なかったと口にした。海外勢の本場の走りを観ることはもちろんだが、やはり日本人選手の活躍がレースへの熱狂と没入を加速させる(と、中盤の逃げに山本大喜が入った時に実感した)。

チームプレゼンテーションもたけなわに差し掛かった頃、オリオンスクエアの脇を10代とおぼしき女子3人組が通り抜けていった。ステージと人垣を一瞥して、「あ、ジャパンカップか〜」と口にした。彼女たちは足を留めることなく繁華街へと消えていったが、宇都宮にジャパンカップがちゃんと文化として根付いていることを証すには十分な光景だった。特に関心は無いけれど知っている。それはまさしくツールにおける町のフランス人たちと同じだ。

ジャパンカップがこのまま、「ヨーロッパレースが宇都宮で行われている」だけのものになってほしくないと思う。日本人のいちメディアとしてできることはそう多くないかもしれないが、現状を紐解き、理解しようとすることが出発点になると信じたい。誰もが感想を言い、議論のきっかけになるような空間をささやかでも作りたいと、小さな目標を抱いたのだった。それはメディアの仕事を信じきれるかという自身への挑戦でもある。


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