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日本横断レース帯同記 26′ 飯田

Arenberg 主筆の小俣は日本最長のステージレース「ツアー・オブ・ジャパン」に大会広報チームの一員として8日間帯同中。ステージレースで移動しながらの日々をロードレースに絡めて、とりとめも無く書き留めます。

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5月28日(木)

ステージレースでは天気に一喜一憂させられる。このツアー・オブ・ジャパンは、日程の中盤くらいから天候が崩れる予報が事前に出ていたのだが、この飯田は雨になるだろうとみな覚悟していた。しかし、当日になってみるとむしろ太陽がじりじりと照りつけていて、9時過ぎの時点で暑い。湿度も高く、ここまでのステージで一番暑いんじゃないかというくらい、暑い。

前日のチームタイムトライアルで単独で落車した山本哲央は、「やらかしましたね……自分がいたらステージも勝てたはずですし……」と苦々しい。だいぶへこんだとも言うが、堺ではステージ2位、チームは勝利量産という中で、好事魔多しというのか。ステージレースの中で、一人の選手の感情をとってみても起伏が激しい。それが100人近く集まっているのがレースのプロトンで、そこにある語れることのない無数のストーリーについてしばし想いを馳せる。

公式サイトのレポートを書くためにレースに帯同していると、基本的には正史というか、勝者の側に立った視点で文章を書くことになる。ここまでステージ2勝をして総合リーダーの座につくトンマーゾ・ダーティは、メディア対応もソツ無く、礼節があり、そして強い。極めて優等生的な選手だと感じる。その発言はレースの展開を的確に触れつつ、総合を狙うのかについては言葉を濁しつつ(しかし本当に自分が勝てるのか読み切れていない部分もある)、そしてチームメイトに勝ってほしいという言を忘れない。大会に帯同して日々のレースを見ていると、彼は過去の大会を見ても有数の完成された選手、過去大会を通じても最強の選手の一人だという印象が強い。しかし、強すぎるゆえか、余裕あるメディア対応ゆえか、自らの内面を吐露するような言葉がポロっとでも出てこない。

個人的に今大会で関心を持ち感心しているのは、日本ナショナルチームで走る島崎将男だ。昨年はアンテルマルシェの育成チームに所属し、ヨーロッパのレースを走ったが今年は日本のクラブチームに所属してのシーズンとなる。大会前には、「海外に行けば強くなるわけではありませんので」と欧州の環境に適応する苦労を滲ませた言葉があった。しかしいなべステージでは、登坂でも集団内を落ち着いた表情で走れている姿が画面にしばしば写り、昨年よりも明らかに成長した走りが見られた。そのことを聞くと、「外からはラクに走っているように見えるかもしれませんが、中は大変なんです」と浮かれた様子はない。

飯田は焼肉の街である。人口1万人あたりの焼肉店の数が日本で一番多いということらしい。会場で売り子の手伝いをしていた地元の少女は、「コンビニより焼肉屋さんの方が多いってみんな言ってます」と笑う。店舗数の多さが直感的にわかるいい表現だと思った。ちなみに2位は石垣島、3位は北海道の北見市だということだ。

飯田焼肉には北見と違って明確な定義がないらしい。特徴としてはにんにく醤油と七味を使ったタレ、マトンや黒モツを好んで食べることにあるという。地域で売り出すのに、定義があったほうがいいんですけどねぇ、、と会場で焼肉を売る信州セキュアフーズの宮内さんは言う。飯田の肉のことなら、という人だったのでなぜこの飯田で焼肉がここまで盛んなのかを訊く。

それは山深いこの地域にダム建設や鉄道の敷設工事が進んだ戦中戦後の歳に、労働力として連れてこられた朝鮮半島の人々が持ち込んだ飲食文化だったそう。現場で鉄板で食され局所的に行われていた焼肉だが、昭和36年の豪雨災害(三十六災害)によって炊き出しの必要が生まれ、そこに鉄板を使う焼肉が広まる契機があったそう。また、この地は一時羊毛産業が勃興したために、マトンを食べるようになったという。飯田の年輩の方にとっては、肉といえば羊を指すらしい。

立ち寄ることは叶わなかったが、飯田駅前の通りにある信州飯田焼肉研究所には、こうしたこの地の歴史が紹介されているとのことで、次回飯田を訪れるときには立ち寄りたい。運営団体は、市内各地の小中学校を巡って、こうした歴史を伝える活動もしているらしい。語り手がいないと、正史も生まれない。会場で美味なもつ焼きをいただきながら、歴史と文化のありかたについてしばし考える。

レース展開についてはレポートに書いた。やはりダーティは強い。強すぎる。だが今日は、今大会で初めて日本人選手が特別賞ジャージの獲得で表彰台に登った。山本元喜が会心の走りで、数的不利を跳ね除ける山岳賞リーダーに。スタート前には「やるしかない」と覚悟を決めていた彼の走りが、TOJの正史として残ることになる。勝てば官軍とはよく言ったもので……。今日の逃げには山岳賞リーダーと3位のスワットクラブの2人が入っていて、一番いてほしくない選手がいましたが? と聞くと、「もう、XXXXXXって思いました」と報道陣を笑わせた。会心の走りに、内面がポロっと覗く。

今日も島崎将男は強く、メイングループに残った。今大会での成長ぶりは明らかだ。飛び出していったダーティの走りは異次元だったことを認めつつも、いい位置でレースできていることに充実を覚えているようで「ちゃんと走れると、レースは面白いっすね」と笑うのだった。これも彼の内面の言葉だった。

その島崎より一つ前、日本人は2人しか入れなかったメイングループでフィニッシュした谷順成(宇都宮ブリッツェン)はしばし虚空を見ていた。それだけ強度の高いレースだったことが伺えるが、谷は前日のTTTといい、静かに流れを引寄せている感覚がある。彼からすれば日本人最高位が最大の目標ではないかもしれないが、しかし正史としては語られる。すべては明日の富士山次第だ。

このメイングループのスプリントで先頭フィニッシュしたオスカー・ギャラガーは力強いガッツポーズを見せた。残念ながらこれは勘違い優勝だったが、チームテントに戻って仲間や監督に「やっちまったー!勝ったと思ったんだよ〜」とケタケタと笑っている。チームメイトも「スプリンターの彼が登りを終えても集団に残っていてビックリした」と語るように、いなべで3位、そして今日の信州飯田で4位の19歳は、間違いなく大器といえそうだ。見ている限り優勝したダーティとこのギャラガーだけが、フィニッシュ後にケロリとしていた。

リニアはまだ開通していないので、次なる目的地御殿場までは南アルプスを北に迂回する進路をとる。諏訪湖SAのスタバでコーヒーをボスに奢ってもらうのがここ数年のメディアチームの慣わしだったが、今年は気が進まないボスをせびって奢らせるという、褒められないやり方でコーヒーを飲むのだった。来年は、私たちでボスにご馳走しよう。

諏訪湖を見下ろす展望台で、我々はスワッコクラブだ、と言ってみたが「弱そうやな」と短いコメントが得られただけだった。

御殿場は雨模様。いつもの台湾料理屋は遠いので、徒歩圏内で行けるカレー屋で、ということになった。しかし店頭まで来て、どうにも本格カレーではないな、という気分で全員が一致し、もうしばらく歩いて回転寿司屋と相成った。昨年の橋本もそうだったが、煌々と光が照りつける明るいチェーン店に入ると、地方を巡る旅から急に実社会に投げ戻された感じがして、そういえばもう一週間も家に帰っていないことを思い出す。

フォトグラファーは食事の際もどこかそわそわしていたが、なんとホテルの部屋の鍵を落としていた。帰路、暗がりの歩道を戻っていると紙くずが転がっていてそれが部屋の鍵なのだった。あんまり軽いのも、考えものかもしれない。立ち寄らなかったカレー屋の前で拾ったので、あたかもカレーを食べたような記念写真になってしまった。

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※同僚の辻啓・S子さんの写真をアップしています

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