Arenberg 主筆の小俣は日本最長のステージレース「ツアー・オブ・ジャパン」に大会広報チームの一員として8日間帯同中。ステージレースで移動しながらの日々をロードレースに絡めて、とりとめも無く書き留めます。
***
5月26日(火)
人は何かを失う時、時間の流れの無常さを思う。奈良ではあの中華料理がそうであったし、いなべでは駅前のあまり品が良いとは言えないパン屋がそうだった。ここ数年、スタート地点の景観を損ねると主にフォトグラファーの不興を買っていた店舗は、すっかり無くなってしまっていた。来年には辛うじて話題にのぼるだろうが、再来年にはもう思い出されることはないだろうな、と思う。何かが文化として残るには、一定以上の品格が必要なのかもしれない。

いなべステージといえば、沿道の案山子もまた恒例の風景である。しかしここ数年はMAGAの人がその主役であって、メディアカー内でも特に盛り上がることはない。むしろ最近は、気分が滅入るばかり。大谷翔平のそれを「似ていねぇ〜」と笑っていた頃が無邪気で懐かしい。何かを失って人は時間の流れの無常を思うのだった。

ウズベキスタンナショナルチームはすでに2人になっていて、この時点で明日のチームタイムトライアルには出場できないと審判は判断していた。先頭3名のタイムをとるTTTで人数が足りないとレース自体が成立しないからだ。この日のスタート前にチームに話を聞きに行った時、43歳の大ベテランにしてレースにまだ残っているムラジャン・ハルムラトフは、「富士山で頑張りたい」と柔和な表情で語るのだった。おそらくこの時点で、まだレース続行ができないことは伝えられていなかったようだ。
昨日、4人が早々にレースからリタイヤしたその姿を「悲壮感がない」と形容したが、それは外部からの一面的な視点であった。ルスラン・ウセイノフ監督に話を聞くと、ビザの関係で予定通りにフライトできず、選手たちはほぼ睡眠も取れずにレース直前に日本へ降り立った。そんな中レベルの高いレースでパフォームするのは容易なことではない。監督は「英語が流暢ではなく申し訳ない」と言うもののお喋り好きな人で、ウズベキスタンのサイクリングの歴史などについて話を聞く。やはり第一にアブドヤパロフの名前が出て、そしてセルゲイ・ラグディンと続く。ラグディンはU23の世界チャンピオンで、2008年にはツール・ド・コリア-ジャパンでは総合優勝を遂げている。ここでも、失われたレース名に時間の流れを思う。
ウセイノフ監督はウズベキスタンの女子チーム、タシュケントシティがツール・ド・フランス・ファムに出場した際に助監督を務めていた。あのレースでも、初日に4名がリタイヤし、その後2名が走りきれず、完走したのは7名中1名のみ。今回のTOJと似た状況だったが、レースがレースなだけに大いに話題になったことは記憶に新しい。今も氏はこの女子チームの監督を務めている。

レースに関してはレポートに書いた。今年は美濃ステージが無くなったため、レース後は長野県飯田市までの大移動である。中央道に入ると風景はみるみる山になっていき、国境の長いトンネルを抜けるとほどなくして飯田である。今年はここに2泊する。TOJでは珍しい連泊だ。
来週に控える富士ヒルクライムに燃える啓兄は、持ち込んだロードバイクで毎日走ってはコンディショニングに余念が無いが、今日はイージーに走るというので、私も持ち込んだBromptonをようやく乗ることにする。山間の街である飯田は垂直都市というにふさわしく、昨年もそうだったがホテルを出てすぐに登坂が始まる。ちょうど先週に180km/3000mUPの行程をBromptonで走っていたおかげで、登坂ライドに違和感はない。
住宅街を貫く結構な勾配の坂をしばらく登っていると、家の数もまばらになり、峠道に接続する。その境界には男女の秘め事のための場所があって、人は高みにのぼりたくものなのだなと納得する。フォトグラファーはその看板を見て、「Hの無い幸せなんてあるんだろうか」などと神妙に哲学的なことを言う。あるいは単に下世話なだけかもしれない。

飯田の街を見下ろす展望台までのライドは、短い距離ながら獲得標高350mと中々の走りごたえ。イージーライドを標榜していたフォトグラファーは要所要所でしっかり踏んでいて、その発言の一貫性の無さこそがサイクリストである証ではないか、と思ったりもする。ゆっくり走るのも技術と意志が問われる。

水を湛えた水田を縫うように下るルートは大変に心地よかったのだが、黒塗りのアルファードが下りで猛然を脇をかすめていった直後に急ブレーキをかけられ、2人して突っ込みかけた。まぁこれも旅の思い出さ……と飲み込み切れないくらいには腹を立てる2人であった。プンスカ。
ホテルに戻って大浴場へ向かうとちょうど洗濯機が空いていたので洗濯する。ステージレースでは洗濯機の奪い合いになるのが常なので、ここがスムーズにいったことで2人の怒りもどこかへいった。単純な人間でよかった。7時から近所の居酒屋へ向かう。飯田は焼肉の有名な街で、TOJ取材旅ではちょうど日程的に中間地点ということもあり景気づけにメディアチームのみんなで焼肉に行くことが恒例行事になっているが、連泊の今年はまだ3日目。焼肉という気分ではないので、近くの居酒屋に数名で行くことにしたのだった。焼肉は明日の楽しみである。
地元客のための店構えをした炭火焼きと炉ばた(ってどう違うの?)に入り、予約がないことを告げると店主はあからさまにつっけんどんで迷惑そうにカウンターなら、という。他に選択肢もないので恐縮しながら4人でカウンターに着く。飲みに来たというよりは食事をしにきた4名のうち啓兄が初手で「ラーメンください」というと、それまで焼き鳥の注文をとっていた女将の表情が強張り、頑なに伝票に「ラーメン」と書かないまま硬化してしまった。「……あっ、これは頼んじゃいけなかったやつだ」壁のメニューにかかっていても、頼んでほしくない品目というのはあるものなのだ。難易度が高い。

人がいいフォトグラファーは、「……あっ、大変だったら無しでいいです」と慌てて告げたが、その言葉も無口な女将に届いているかは定かではなく、辻のラーメンは宙に浮いてしまった。それを横目に、残る3人の注文の勢いも削がれ、ビールと焼き鳥という、結局は居酒屋のメニューに落ち着くのだった。このカウンターには、たまたま某熊野地域のレースオーガナイザーが先着していて、主催者の苦労やビジョン、その情熱に触れる時間になった。大変なことしかない(ように見える)レースを主催しようという気概と情熱にはただ頭が下がるばかりで、我が国のロードレース文化はこうして支えられているのだと実感する。
カウンターで横6人で自転車の話を楽しそうにしているのを見てか、しかめっ面の店主がズイっとこちらに水割りを持ってやってくると、「あんた方はあれかい、自転車の選手なのかい?」と聞かれる。おおよそ選手らしからぬ6名にかけられた言葉にこちらも破顔して、そこから和やかな会話が始まった。店主はずいぶんとお喋り好きで、我々の出身を聞いては、「埼玉か……わしは越谷に住んでおった」とか、「和歌山の梅は高いナ」とかコメントをしていくのだった。店主は御年74歳で、その言葉には訛りもあって聞き取りづらい部分もあったが、こちらが話す自転車ロードレースとTOJについて、「なんだい、明後日大会があるっていうのなら観に行こうかなぁ」と、興味津々な様子。世界中から選手がわが町に集まると聞いて、地元を少し誇りに思うような、そんな機微に触れた。すっかり愉しい時間に、飯田が好きになる我々4名であった。
店主は「相撲のまわしみたいに店名の広告を会場に出したいなぁ」とも言っていた。その店名は「夢街道」。自転車ロードレース的に、これ以上美しい店名があるだろうか?

堺ステージ レースレポート
京都ステージ レースレポート
Tour of JapanのInstagram
※同僚の辻啓・S子さんの写真をアップしています
2025年のTOJメディアチーム旅はこちら
