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日本横断レース帯同記 東京

Arenberg 主筆の小俣は日本最長のステージレース「ツアー・オブ・ジャパン」に大会広報チームの一員として8日間帯同中。昨年に続いての旅、ステージレースならではの移動しながらの日々とロードレースを絡めた書き物ができたらよいと思っていたこともあり、とりとめも無く書き留めてみます。

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5月25日(日)

旅というのはいつか終わるものであって、終わりつつある余韻を噛みしめる時間ほど豊かなものはないと思うのだが、現実の私は帰路の特急電車の中で終わらせるべき原稿にかかりっきりで、噛みしめたとて歯ぎしりがするだけなのだった。けれど、そのまさに今書いているレースレポートの中にこの日一日の出来事を凝縮し、8日間を総括しようと試みているのだから、ある意味でじっくりこの旅と向き合っているということになるのかもしれない。

そんなわけで、8日間のツアー・オブ・ジャパンが終わった。

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東京ステージは、自分がまだ自転車ロードレース観戦少年だった頃には、日比谷公園でスタートしていた記憶がある。そういえば私の初めて見た自転車ロードレースは、TOJの東京ステージだった。20年以上前の話で、父に連れられて埼玉の家から電車を乗り継ぎやってきた日比谷はひどく都会に感じられたことを覚えている。今日のTOJにも、20年以上前の自分のような、初めてレースを見る人が沿道にいるかもしれない。そんなことを心の片隅には置き続けておきたいと思う。

近年は大井ふ頭で完結するレースとなっているので、朝に到着したメディアチームの行先は決まっている。ポートストアだ。ポートストアについての説明は省くが、私の最近の仕事先の近くにもあってしばしば訪れているそこはローソンタイプであり、この大井ふ頭のファミマタイプは個人的にちょっとレア。見るもの買うもの特に平時と変わるわけでは無いが、ちょっといい気分。……それはまた違うお店か。

一週間規模のステージレースというのは、しばしば最終日まで総合優勝争いがもつれ込むことがある。パリ〜ニースやヴォルタ・ア・カタルーニャなんてレースは、一週間だからこそのスペクタクルが魅力そのものだ。TOJに関しては富士山ステージの比重が大きすぎるので、最終日に総合優勝が動くことはない。これはこれで、シャンゼリゼのスプリントフィニッシュという様式美を生み出したツール・ド・フランスへのオマージュなのだろうと思っている。しかしもし、富士山ステージの代わりに飯田ステージのような一日があれば、総合優勝争いのレースとしては白熱したものになるだろう。それはそれでちょっと見てみたい気もする。

しかし今年は、総合表彰台とポイント賞を巡る争いが最終日までもつれこんだ。その一部始終はレースレポートや動画などで見ることができるが、こうした争いがレース展開の全域を左右するところにロードレースの面白さがある。こんなに逃げの決まらない東京ステージというのも珍しいのではないか。それだけずっと速い展開が続いていて、この日はコースのどこで見ていてもかなり楽しかったのではないか。なんといっても四六時中アタック合戦が繰り広げられているといった具合なのだ。


現地観戦のいいところのひとつは、旗を振る立哨員のような、ジロやツールでも見たことのある光景を眼の前で見ることができること

「また明日も来ます」と言っていた荒野姫楓さんがその言葉どおりにまた今日も来ていた。今日もプライベートだというが、貴重な土日の休みをレース観戦に費やすのだから堂に入っている。東京ステージというのは自転車業界の関係者が多く会場にいるのだが、J SPORTSでいつもお世話になっているIさん(某番組で進行の覚束ない私にカンペを出してくれる神様のような人)もいらしていた。スタジオでしかお見かけしないから最初誰だかわからなかったが、聞くと「今日はジロもお休みなので観に来ました。いつも会場に行っても中継車の中でレースを見られないので新鮮です」とニコニコしている。彼女もプライベートで来ているというのだから、みんな自転車レースが好きである。

私のTOJの仕事内容として、レースの展開を逐一見ておく必要があるので、会場にいるにも関わらず、沿道で見ることは少ない。中間スプリントが設定されているならいざしれず、通常の周回ではフィニッシュラインの通過時に動きもないので、だいたいモニターでレースを見ている。しかしこの日は機材のトラブルがあったとかでしばらく固定カメラの映像しかモニターに映し出されず、局所的なレース映像に留まったのだが、それでも集団の先頭付近で激しい動きが起きていることはわかる。アタックの動きが起こると、すぐさまそれをチェックするのは、映像で見る限りソリューションテックの新城幸也だ。

「あぁ、これは逃げを潰す動きだね」と、隣でひめたんも映像を見ているのでしたり顔で言うと、「逃げを潰すってなんですか?」と聞かれる。確かに、あそこで新城が前を行く選手に追いつくと逃げは潰されることになるのだが、それはなぜなのか。どういう集団心理や選手の動きが伴って、『逃げが潰される』ことになるのかの明快な説明ができず、もごもごと口ごもる。当たり前のように見ていることを、改めて言語化するというのは難しい。

映像がなかなか展開を映すことができないようなので、フィニッシュエリアで観ることにする。メディアが入れる場所はコースに挟まれた中洲になっていて、1周で2度集団の通過を見られるのでモニターで見るより情報量が多い。変に広々とした中洲でレースを観ていると、昨年のツールのニースのステージが思い出される。あれは個人TTだったが、中洲から往還する選手たちを観ながらポッドキャストを録ったのだった。あれもそういえば、最終日だった。

レースは終盤にかけて出入りがあったものの、最後は集団スプリントで決着。ここまで見せ場を作れていなかったシーキャッシュがワンツーと、最終日の意地を見せた。勝ったウォルシュはピュアスプリンターとしての脚力を見せつけたが、彼はあの登りのきつい飯田ステージでも逃げに乗って粘りの走りをしていたことが思い返される。将来はマイケル・マシューズのような選手になっていくのかもしれない。

「写真は得意です」とアイドルがいうのでカメラを渡して写真を好きに撮ってもらったが、一番いいのは空の写真だった。レースに来て、なかなか空というのは見上げない。本人の力作はInstagramに上がっている。けだし力作である。

「メディアチームで働きたいです」と嘘か真かわからないことも言っていたが、おべっかだったとしても嬉しく思う自分がいる。華やかに見えるレースの舞台で、報道の仕事は裏側で地味で、報われることはあまりない。しかし一見華やかそうに見えるレースの世界も、スポットライトを浴びるのは一握りの勝者だけであることを考えると、そもそも自転車ロードレースというのはあまり報われない競技なのかもしれない。だからこそ、光の当たらないところまで目を配り、凝らしていたいとも思う。毎日をスポットライトとその影で行き来するアイドル稼業の人には、もしかしたら人並みに以上そういう目があるかもしれない。


撮影:荒野姫楓

完走した選手たちが健闘を称え合い、また訪れた観客に温かく迎え入れられる最終ステージの雰囲気があり、いつもより少し長い表彰式があり、各賞ジャージが呼ばれる記者会見が終わると、いよいよツアー・オブ・ジャパンも終わりである。毎日レースがあり、毎日揚げ物の入ったお弁当を食べ、毎晩ビジネスホテルではなぜ掛け布団をマットレスに挟み込むのか疑問に思いつつ剥ぎ取り、毎日メディアカーの中でその日の写真の良し悪しやレース展開について議論をしたり、そして毎日文章を書いてきたこの旅も終わりである。


今年もこのメディアチームでの8日間。ここで仕事をさせてもらえて、本当に幸せなことです。帯同記の主なネタ元にもさせてもらったけれど……。そして一番左にこの大会で一番偉い人がちゃっかり映り込んでいる

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特急列車の中でも原稿書きは終わらず、最寄り駅に着いてからも30分ほど書き続けてようやく終えた。私の住む街は、週末になると人口が増える類の準観光地なのだが、帰りしなに夕食をとりに入った定食屋の駐車場には都内ナンバーのクルマが停まっていた。家族と思しき3人が、定食を食べながら「あぁ〜帰りたくない。帰ったら帰ったで落ち着くんだけど、東京に帰りたくない」と話していた。日曜の夜、渋滞を避けるためにまだこの街にいるらしかった。

誰しもにそれぞれの旅がある。

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ツアー・オブ・ジャパン SPEEDチャンネル 東京ステージレポート
Tour of JapanのInstagram
※同僚の辻啓・S子さんの写真をアップしています

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日本横断レース帯同記 京都
日本横断レース帯同記 いなべ
日本横断レース帯同記 美濃
日本横断レース帯同記 飯田
日本横断レース帯同記 富士山
日本横断レース帯同記 相模原
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